昭和42年11月24日  夜の御理解




 わがもん宝という事を申しますね、自分の物は宝のように思う、わがもん宝と。
自分の、例えば自分の子供は自分の子供は、もうとにかくその、きんきん娘に見えたり、きんきん孫に見えたりする訳なんです、ね。 それを一つ外から見ると、あそこのお父さんな自分げの息子やら娘やらもう、ほめちぎってから思うちゃるばってんか、ね。 ほんに自分がそれを知らんもんじゃから、あげな事がありよるとに、こんな事しよるとにと、親は馬鹿なもので、ああ家の息子が一番、ああ素直で、ね、正直で、というてその、そういうような思い方をわがもん宝とこう言う。

 本当にこの、私は今日ドキッとするような事を聞いたんです。 その事はまた私にとっては本当に有り難いおかげであったんですけれども、今日は鳥栖の御大祭でございましたから、今日は秋永一家でおかげを頂いた。 秋永友良先生、文男先生、嘉郎さん、それに徹君まで行きました。 それに総代さんの熊谷さんが当番でしたから、熊谷さんがおかげを受けられたんですけれども。 あちらでおかげを頂き受けた事もそうです、ね。

 もうどこに参りましてもこの頃から鳥栖の信者さんからたくさんお参りを頂きましてね、ここの開教式の時に。 もう本当に先日は大変御世話になりました、もう隅から隅まで見せてもらいましたが、もうそれこそ、もう本当にあれが日本一の、いや世界一のお広前でしょうち言うてから、もう本当に皆さんが心から言うて下さる、ね。

 そういう例えば誉め言葉は、?にありますと本当にそうだと思いこんでしまうのです。 ところがです、帰り道に文男先生がこんな事を言うんですよ。 昨日、今度12月の18日が四神様の御大祭ですね。 それのあの、上りというあの、まぁ上りのような物が出来るのに注文しに行って、日にちが決定してなかったから、今日帰りに、昨日帰りにここの帰りに寄ったんです。 それでお願いをして来たところなんです。 

 先生、その染物屋、甘木の染物屋でこういう事を言うんですよち。私はあそこ金光様は、もう移ってあるとですかちこう言う。 もうあんた開教式がこの頃で、移るのも3月に移ったってすよち言うてから言うた。 ああそうですか、私はまだあそこはガラ~ンと空家んごつしとるけん、椛目「   」いやいやこっち、合楽の方ですよ。 ガラ~ンと何時通ったっちゃ空家のごつしとるけん、まだ屋移りがあっとらんとと思うとったとこう言うた。

 もう私はほんなこて冷~っとしましたですね、それ聞いてから。 いわゆるわがもん宝と思うとる。 自分の息子は立派なもんだと、いや自分の嫁ももうどこにも類がないんだと。 そげな事ばかり聞いたり見たりしてるもんですから、いわゆるわがもん宝なんです、ね。 それを聞かせて頂いてから、それこそ私の心の中に冷っとするようなものを感じて、はぁ神様相すいませんと。 こういうがらんどうのような、いわば素晴らしいお広前を頂きながら、それがガラン堂に見えるという事が本当に、これはぁしかし良か時に聞かせて頂いたと私は思うたんです。

 なるほど、家なんかはもう、かんさんとしてますからね。 自動車一台止まってなければ、人ひとり参道を通ってる訳じゃない。 そういう時に通り合わせよるなら、あらぁここは人間のおってっちゃろうかと思うだろうじゃろうと、こう思います。 朝の御祈念時とか、お月次祭の夜とか、それこそもうこうこうと電気がついて、それこそ沢山な人が、ね。ちょうど文男さんからそういうような事を聞かせて頂くときに、合楽行きがちょうど、この私共の前を空で通っておりました、合楽の方へ向かって。

 そして私は思うた。 どうぞ本当に合楽行きがあれいっぱい何時の場合でも。 そして合楽に下車されるような人達がです、本当におかげを頂き助かって行かれるようになったらですね、神様の願いがそん時こそ成就する時だと私思いました。 もう特に合楽行きは何時もそういうとこに直行できたから、それを実感したんです。 いやぁ本当に西鉄は合楽行きというものを作られたけれども、合楽行きは何時も空と。 

 本当にあの合楽行きにです、合楽行きは何時ですか、合楽行きは合楽行きという、例えば参拝者なら参拝者で、あのバスがいっぱいになるようなおかげを頂かして頂かにゃならん。 為には、ならどういう信心をさせてもらわにゃならんかという事を私は仕切に今日は車で考えた。 お互いの中にです、わがもん宝があります。 もう俺げん娘は、もうそれこそ間違いない。 はぁ家の娘は良か娘、家の息子は良か息子と。 家の孫はもうそれこそ、それこそきんきん孫に見えるというようにですね、なった時はいよいよやっぱり猛反省しなければならん時です、ね。

 私はそれを思わせて、私は本当に猛反省の事を今日は、今日は大祭にお参りさせて頂いておかげを頂いたという事に、文男さんのその一言が、私には大変なおかげでした。 同時に、ちょうど奇せずしてそこを通っておる合楽行きのバスを見せて頂いてから、どうかあの合楽行きのバスが、もう必ず合楽、あの、吉井行きの自動車から、参拝者の人達がゴロゴロ下りてくるというようなおかげを受けなければならない。 でないと神様に対して相済まん。

 家の子供の中に、家の家族の者の中に、だ~れも知らんでも家の親父のきんきん息子であるきんきん娘であると思うておっても、その娘が息子がどういう事をどこでどうしよるような事でしよるじゃろうか分からん。 はぁあそこの先生ども、もうそれこそ、もう神様のごと言わっしゃるばってん、ああいう息子はどうかと。 あんた方の娘はどうしようもないと、と見られるような事であったら、私じゃない神様の顔に泥を塗る。

 ね、合楽の金光様はいつも、とにかく素晴らしいお広前、素晴らしいお広前というて、そのお広前だけは素晴らしいかもしれんけれども、それがガラン堂のようになっておったんでは、神様に対して相済まん。 あじゃぁ、あそこは家移りもうしちゃるとですか。
いつ通ったっちゃぁ、あのぉ、だ~れん人気がないから、私はまだ家移りしてなかったかと思うたとその染物屋さんが言うたと。 

 小学校の中にいつも20人余りの人がいつもウロウロしとるとですけれども、ね、そろそろ「    」がないからやっぱりあそこの駐車場にはいつも何台かの車が止まって、何時も参拝の人達が行ったり来たりしよるようなですね、私はおかげを頂き御比礼を頂かなければ、このお広前に対してから相済まん事になる。 わがもん、わがだけ、はぁ立派な大きなお広前ち言うて思うとる内にです、いつも何かガラン堂になっておるような事があっちゃならん。 子供達も同じ事。 はぁ家の息子はヨカ息子と言いよる間にです、人から後ろ指を指されるような事になったんじゃです、もうそれこそ、親や神様に対して切腹もん、ね。 
 

 どうぞひとつ、わがもん宝と、それに見えるのが、それが情なんです、ね。 もうそれこそ、もう良かつのごと。 もうそれを「        」してはならん。 家の子供だけは~もう本当に「                              」。 ね、だからこれは一つ親の責任としてです、神様にお詫びを申し上げると同時に、例えばならこれはもう間違いありませんさやかさんと愛子がああして仲ようございますし、もうどこで修行しよりましたし。 ね、むつやに帰っておりますからアンタも「こんのり?」行って今夜は泊まらんの、と言やぁです、ね、嫌とも言われまい、また改まって来ても味はない事もですけれどもです。 

 ならそれを間違いがない時にです、なら、ああそうかと言うてから許しとったんではですね、今度はどげな事をしよるじゃ分からん子供の場合でも、それ許さんならん事になるです。 これは親の責任、ね。 泊まらんなん事情があるなら泊まって来い。帰らなん事情がその、なくても、その事情のある時にいわば娘の他所の家に、ただ泊まるといったような事を親が許すという事が間違い。 言いますもん、電話が掛かってからそれ私思うんですよね。 私今までそういうような事を、ああそうかと言うて聞いとったけども、今日だけはそれを思われないです。

 ね、わがもん宝のように思うておると、それがうかつにそういう事になって来るのです、ね。  厳しい、それを「        」、どうという事はない。 ほんな事むつやに泊まとるとじゃろうか、と例えばですね、いうようなその疑いもしませんけれどもです、それではおかげにならん。 親も子もおかげにならん、ね。 そんなこと、そして今日は鳥栖の大祭の行き戻りにです、そういうようにおかげを頂いた。 もうそれこそ何処に行きましても、もう本当に先日からお世話になりました、素晴らしいお広前でと。 もう「       」わがもん宝になってしまった。

 ね、それこそ何げなしに、その文男さんが言うたその一言にです、はぁ、ほんなこて相済まんと私は思いました。 皆もそのつもりでですね、おかげを頂き信心させてもらわなければならんと思うですね、どうぞ。